歴史
年月日 | 出来事 |
1966年 (昭和41年) | 教育学部有志による自作ヨット「伊勢1号」が竣工(シングル) 当時、三重県内のヨットは、四日市市霞ケ浦海水浴場で企業等のクラブチームが活動していたが、津にヨットは存在しなかった。 |
1967年 (昭和42年) | ヨット同好会の結成と同好会会員募集 フイン級レース(シングル、蒲郡)に2艇が初参加 自作艇は、岩田川の漁港のスロープに置き、津競艇の開催日を避けて河港から沖に出て練習、A級デインギー(シングル)1艇を寄贈いただく |
1968年 (昭和43年) | 体育会ヨット部の創設と中部学生ヨット連盟への加入 インカレの中部予選レースに初参加 半田高校ヨット部出身の岡戸幹雄(昭和45年卒)により、同好会から運動部としての基盤が作られた。 顧問:伊藤達雄、高田直彦(教育学部) 伊藤先生は東京教育大でヨットの経験者、高田先生は美術科陶芸の先生であり、ヨット自作の場となった木工室に隣接し自作した人の交流の場でもあったことから顧問になっていただいた。 |
1972年 (昭和47年) | 伊勢湾海洋スポーツセンターが完成(三重国体開催のため) |
1973年 (昭和48年) | ヨット部OB会の設立 現役の支援とOBの親睦を目的 岡戸幹雄氏が卒業後、自宅(愛知県阿久比町)から来て現役を指導していたが、大会出場に多額の経費が必要なためOB会を作り資金援助の必要があるとの認識からOB会設立となった。 ヨット部初代監督:岡戸幹雄 初代OB会長:後藤修二 |
1975年 (昭和50年) | 三重国体開催 |
1976年 (昭和51年) | 伊勢湾海洋スポーツセンターに部のスナイプ1艇を保管 海洋センター移転時の最大の課題は、艇庫保管料をどのように捻出するかでであった。当時大学側にも何度か交渉しましたが、町屋に艇庫があるのだから保管料は出せないとの回答であった。そこで、冬季の集団アルバイト(菊水ラインでガードレールの保守・取付作業、伊藤ハムでお歳暮用ハムの配達補助)で艇庫保管料を確保するにいたった。 |
1978年 (昭和53年) | ヨット部創設10周年記念懇親会 OB会長:岡戸幹雄 |
1981年 (昭和56年) | 現監督の加藤重雄氏に監督依頼 (東海大学出身、父親は、当時の三重県ヨット連盟の会長) 監督:加藤重雄 当時のヨット部は、個人での国体出場選手はいたものの、チームとしてインカレ本戦に出たことのない弱体クラブであった。何とかしてあげたいという後藤様(当時の470級世界選手権日本代表)のご厚意で、津市在住でセーリングに情熱を持ちオリンピック代表選出とも知己があり何よりも面倒見がよい人格者の加藤監督をご紹介いただいた。 尚、加藤監督とのご縁は元を辿るとクラブの練習拠点をオリンピックや世界選手権常連のホンダ技研鈴鹿様と同じ海洋センターに1979年(当時470級キャプテンの佐治様が決断)に移転させことに始まっている。 この移転はクラブにとって大きな転換点となり、ホンダ様や毎年合宿にくるインターハイ優勝常連高校との合同練習など強豪チームと走り比べることでレベルアップが進んだ。 |
1982年 (昭和57年) | インカレ個人戦(470級)に中部代表で初出場 |
1984年 (昭和59年) | インカレ団体戦(蒲郡)に中部代表で初出場 壮行会、祝賀会を三翠会館で実施、中部学連委員長ほか10名の招待者 470級 13/24 スナイプ級 19/24 |
OB会長:立木昭就任(就任年不明) | |
1986年 (昭和61年) | 12月7日 津港沖で突風による転覆事故 タグボートに救助 人身被害なし 海上保安部扱い(戒めのため掲載) |
1987年 (昭和62年) | インカレ団体戦(江の島)に中部代表で出場 470級 22/23 スナイプ級 21/23 部員数 男19人 女8人 |
1990年 (平成2年) | インカレ団体戦(江の島)に中部代表で出場 470級 スナイプ級 成績不明 OB会長:中邑吉信 |
1992年 (平成4年) | インカレ団体戦(琵琶湖)に中部代表で出場 470級 19/23 スナイプ級20/23 |
1993年 (平成5年) | インカレ団体戦(蒲郡)に中部代表で出場 470級 23/23 スナイプ級 20/23 |
1994年 (平成6年) | 470級1隻 購入 OBのカンパ(50 %)現役(50 %)の出資 |
1998年 (平成10年) | インターネットでヨット部公式ホームページの開設 OB会長:村田基佳 |
2003年 (平成15年) | OB会活動一時休止(2005年まで) |
2006年 (平成19年) | OB会の再建 |
2007年 (平成20年) | 3月12日 津港沖で日本福祉大学と合同練習中に突風による海難事故 三重大4艇 福祉大3艇中5艇が沈(内3艇が漂流) 人身被害なし 海上保安部扱い(戒めのため掲載) 部員10名 顧問:後藤基 |
2010年 (平成22年)て | インカレ団体戦(蒲郡)に中部代表で出場 地元開催のため3大学参加 スナイプ級 24 /24 23年3月 部員4名 部員減少により部消滅の危機 |
2011年 (平成23年) | 部員減少による財政難からOB会支出の艇庫保管料を2艇から3艇に増額 広瀬正利氏からOB会に寄付(広瀬基金として10年間支出する) 新入生勧誘に努めた結果、部員9名 インカレ(江の島)に中部代表で出場 23/24 |
2012年 (平成24年) | インカレ団体戦(琵琶湖)に中部代表で出場 スナイプ級 21/24 |
2013年 (平成25年) | インカレ団体戦(西宮)に中部代表で出場 スナイプ級 20/24 OB会長:木平順也 部員9名 |
2014年 (平成26年) | インカレ団体戦(福岡)に中部代表で出場 スナイプ級 16/24 |
2015年 (平成27年) | インカレ団体戦(江の島)に中部代表で出場 スナイプ級 22/24 |
2016年 (平成28年) | インカレ団体戦(蒲郡)に中部代表で出場(7年連続) スナイプ級 18/23 中部水域の予選参加大学(3校)が少ないため代表は、今年から1チーム減り、1大学のみとなった、但し今回のみ、地元開催のため2大学が参加 11月19日 創部50周年記念式典の開催 参加者52名 |
2017年 (平成29年) | インカレ個人戦に中部代表で出場 全日本スナイプ選手権大会に出場 顧問:三島隆 |
2018年 (平成30年) | インカレ個人戦に中部代表で3艇出場 |
2019年 (令和元年) | インカレ個人戦に中部代表で3艇出場 豊田自動織機様より令和元年10月にスナイプ艇を1隻寄贈いただく |
本年表の作成にあたり、後藤 修二 様、児玉 靖 様より情報を提供いただきました。 ここに感謝申し上げます。
<その他>
豊田自動織機様より令和元年10月にスナイプ艇を1隻寄贈いただきました。ここに厚く御礼申し上げます。
初代顧問のおひとりである高田直彦先生が平成31年1月19日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
OBの倉田 伸雄 様が平成30年5月25日にお亡くなりになりました。ヨット部では主将を担われ、OBとなられても大変お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
<旧ウェブページ一覧>
○2020年2月1日〜2022年12月6日
○2012年5月5日~2019年7月20日
○2001年1月24日~2010年7月21日